嫌いなもの。
どうも群青です
本日は、私が嫌いなものについてお話していきたいと思います
余談はなく早速本筋にいきたいと思いますよ
私が嫌いなものはズバリ学校の先生です
一言に先生と言ってもいろいろありますがね
勿論、中には良い先生といわれる人もいるでしょう
私にもこの先生は良かったなという人は3人ほどいました
この3人は私の嫌いな教師の部類ではなかったわけです
でも基本的に教師というものが嫌いなわけです
良い先生に出会えるということは幸福なことだと思いますよ
でも、良い先生というのは稀なわけです
大体、先生になるのは学生時代に学校で良い思い出がある人とか先生に救われたとかって人が大半だと思います(偏見かな?)
つまり、学校は良いものであるという潜在的な思いがうちにあると思うんです
逆説的に言えば、学校が嫌いな人の気持ちがあまりわからないのではないかと思ったわけです
特に私は中学校の時の先生が大嫌いでした
私は中学生のときに「みんなに平等に接しろ」とかいうゴミみたいな理想論を押し付けられました
そんなのできますか?
嫌いなやつを好きなやつと同等な扱いにできますか?
少なくとも私にはそんな器量を当時持ち合わせてはいませんでした(今、持っているかは疑問ですが)
その言った先生本人も生徒皆を平等に扱ってましたか?というとこれがそんなわけないんですよね
つまり、自分のできないことを棚にあげて理想論を弱い立場である生徒に押し付けてるわけです
そんなの従いたいと思うわけがありません
本来、先生というのは生徒に対して模範を示す立場であると私は考えています
それができないのであれば教壇に立つ資格は無いと思います
しかし、それができていない人が一定数いると思うんですね
最近では、コロナもあり学校に通うこともないでしょうひあまり聞かれませんがイジメ問題についてもそうです
学校というのは体裁を気にするばかりに1人の生徒を守れないんです
その結果として死という選択を取ってしまうという悲劇的なことも多く起こっています
1人の生徒を守れないで100人それ以上の生徒を守れますか?
学校というのは1人1人の人生を変え得る特別な場所です
社会という面で見れば小さな小さなコミュニティではありますが当事者からすればそこは大きなコミュニティなわけです
そこで大切なのが先生という役割です
学校では先生が頼れる数少ない大人なんですよ
それが頼れる数少ない大人に裏切られたならどうですか?
絶望ですよ
中学校に通っていたとき、私は先生はゴミだと思っていたので全く信用していませんでした
先生は査定がありますから自分が可愛いわけですよ
つまり問題は無かったことにしたいわけです
クズですよ?先生なんて
まぁ、人間なんで結局、自分が可愛いんですけどね
学校でしか学べないことがあるのは事実です
宿題が嫌だからとかの理由で行かないって人もいましたけどね
それは個人の選択なので正直どうでもいいんですけど
嫌なら行かなくたってどうにかなりますよ
私の知り合いにだっていますからね
あくまでも私の経験則に基づくものなので悪しからず
学校が楽しくて楽しくて仕方ない人もいるでしょう
でもそんな人だけじゃないんだと
別に楽しくない人だっているんだってことをもう一度思い返す機会になってくれれば良いかなと思います